みんなの海はどうですか




おぼんろの『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を観た。

夜公演を観終えて劇場を出たら、池袋は雨が降っていた。天気予報をわざわざ確認して、わざわざ傘を置いてきたのに。
いつもわりとそう。備えてもその通りにはならなくて、たとえば膝の上に置いていたハンカチは使わなかった。でもなぜかすがすがしい心地で、街の明かりを吸い込んだ重い空を見上げる。雨はしょっぱくない。この雨は河に流れる。河は海に向かって流れる。私はひとの流れに逆らってずんずん歩く。歩けば夏の湿気に汗をかく。汗はしょっぱい。汗と雨が肌の上で混じる。そのぬるい雫が指先に伝う。この雨はいつか止むし、雨で街が没することはない。さっき飲んだソルティライチは私の身体にながれている。ぜんぶ流転してる。あの物語に暗渠になって流れている、そのことを思う。始まれば終わる。終われば、始まる。だからまたいつか会える。終わらないものはない。なくならないものはない。約束された終わりは確実にあって、夢は覚める。人は死ぬ。私はトノキヨの言ってることが死ぬほどわかる。『生きていたってどうせいつか死ぬだけだ。何をしたところで意味がない』。ずっとそうやって生きてる。今もそう。それはリュズ夢をみたあとでも変わることはない。トノキヨの、5人のあの表情を思い出しながら、ホテルまでの道を濡れて一人で歩いた。

いつも一人でいい、と思ってるけど、喪失がこわいからだ。数年前に祖母を亡くした。はじめて人が死ぬところを目の前でみた。もうずっと眠っていて、泣いたり、苦しんだりはしていなかったけれど、それでも悲しかった。夜。いま、何時ですか?と医者が言う。姉がiPhoneを取り出して、時間を告げる。いやご臨終の時間確認iPhoneかよ、と思ったこととか、ばーちゃんのまるい背中、もう亡くなったというのにカイロ貼りすぎてめちゃめちゃ熱すぎたこととか、お化粧をしてあげようと思ったらみんな持ってる化粧品が若すぎてわりと死に顔がイケイケな表情になってしまったこととか、そんなことばかり覚えている。亡くなった翌日、実家の庭に赤い彼岸花が一輪、急に咲いていたこととか。

だからほんとはすきなものを増やすこともこわい。この公演をみるまえもこわかった。大事なものが増えること、しかもその大事なものが消えてしまう(記録映像はあっても、その公演は一度限りで本当の意味でこの世に残ることはない)とわかっていて、それでも観に行くことはけっこうこわい。記憶は完全じゃない。毎回そういうこわさを持って劇場の椅子に沈んでいる。でもやっぱり観たら楽しい。楽しいし、心の水面に宝石を投げ込まれて波紋がおきる。そういうきらきらを抱えて何個もの夜を過ごしている。意味がなかったはずの夜を、やり過ごすんじゃなく、ちゃんと過ごせる。

大切なものを喪ったとき、もう立ち上がれないんじゃないかと思う。夜もあんまり眠れないし、ごはんもあんまり食べれない。もう何十年も、死ぬまでこんな気持ちを抱えて生きていくのかな、とか絶望する。
でも時間が経てばいつか大丈夫になる。人は忘れてしまう。思い出せなくなる。でも、忘れたいこともたくさんある。それでいて、思い出すこともできる。

作中でリフレインされる『かもしれない』の力を私はほとんど信じていない。トノキヨの言うように、期待したところで、そうならないことのほうが現実には多いからだ。
けれど、『それでも』の力を私は信じている。もうみんなはいない。あの時間は、もう戻ることはない。それでも。あの記憶を取り戻してよかった。悲しかったけど、苦しかったけど、あの記憶と向き合えてよかった。そう思う。
深海を歩くような、暗くて、つめたくて、長い孤独があり、それでも生きていかなきゃいけない、途方に暮れるような生がある。
だからこそ、さいごのあかるい照明のなかで、みんなの存在がきちんと証明されていくこと。
夜と朝は円環になって繋がっていて、きちんと朝日が昇ってくること。
生きることをやめたくなるときに、希望がきちんと希望としてひかること。

海をみようよ
最高の夏休みの思い出にしたいじゃん


トノキヨの口から、この言葉が聴けてよかった。

現実は現実として、ただそうあるだけだ。けれど、それをどう捉えるか。どう自分の心に定着させるかは、自分で決めることができる。なにかの喪失を、だれかの死を、どうやって携えて歩いていくか。

かなしみはちからに
欲りはいつくしみに
いかりは智慧にみちびかるべし

宮沢賢治 書簡

海が見たい、という欲求は、人それぞれのかたちをしていると思う。海を思うとき、あの舞台の上にあった海のことを、この5人が盗んできた海のことを、きっと思い出すんだろう。

胸のなかにある瓶を割る夜。この海はもう私のなかにある。

きらきらと明けていく夜。朝日を乱反射して眩しくなっていく海。未明の明るさ。見えていないのに、そこにある海。

みんなの海はどうですか。

投稿者:

solaris496

(@so_lar_is)

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