SOUND THEATRE × さよならソルシエを観てきました。音楽朗読劇ということで観る前はどういうこと?と思っていたんですがドラマCD一発録りみたいな感じです。生でこれができちゃうのすごすぎる。加えて、舞台なので、視覚の楽しさをつける感じ。ライブペインティング、照明、舞台の演出、衣装など。レポではないです。個人の主観入りまくりの感想。
ここで原作についても語ってしまうとかなりとっ散らかってしまうので基本的に演出と演者について。この12/3の公演はPLAY BUTTON(プレイボタンはバッジ型デジタル・オーディオ・プレーヤーです。バッジ型の本体にイヤホン / ヘッドホンを差し込むだけで、いつでも、どこでも収録された音源を楽しむことができます、とのこと)に録音されているけど、記録媒体からはみ出してしまうものがやっぱり生の舞台にはある。その劇場のダイナミズムとかについて。
以下原作の漫画の題です。舞台脚本ではすこしずつ入り組んでこの区切りを越えて行ったり来たりもするし台詞がつけたされているところもある。
1話 パリの魔法使い
2話 夜の住人たち
3話 草原の兄弟
4話 アンデパンダン展
5話 夜明けのパーティー
6話 冬の草原
7話 才能
8話 絶望と希望
9話 彼の宿命
10話 手紙
11話 炎の画家
12話 au revoir, Sorcier
演者は下手から、三木眞一郎、浜田賢二、諏訪部順一、内田雄馬。中心2人には立ち台がついてる。(ちなみに自分のスタンスを話しておくと、三木眞一郎が超すき、浜田賢二と諏訪部順一はものすごい推し、内田雄馬は気になるキャラ居てエンドロール見るとまたこの人だったか、というタイプで好きな役いくつかあるけどノーマークだった)
ちなみに衣装と髪型はこう。左がフィンセント・浜田・ゴッホ、右がテオドルス・諏訪部・ゴッホです。浜田賢二髪の毛モフモフ、諏訪部順一外ハネ茶髪(ありがとうございました)、もうこの画像だけでつらくないですか、ほんとにまんまなんですよ、これがステージにいたんですよ
内田雄馬はビビットめな色でかっちりはしてない若者めいた格好にさらっと下ろした黒髪、三木眞一郎はベージュのロングコートっぽい羽織りに茶髪グラデ外ハネロン毛です
会場には照明を映えさせるための霧が立ち込めている。ステージには描きかけのキャンバス。波を通り抜けてきたような光の網が虹色に光って、ステージの輪郭の外まで広がっている。開演と同時にその網は青く染まり、観客は物語のなかに潜水する。
再構成された物語。戯曲家ジャン・サントロと画家アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックの再会から、回想譚として語られていく。
・物語は『2話 夜の住人たち』の一部から始まる。
プロローグのあと、物語の冒頭で容赦無く観客を引き込む諏訪部順一。諏訪部さんの声には説得力があるなあと思う。カリスマ性のある、というか、有無を言わさず相手を説き伏せる力。安心して聴けすぎる。地に足がついている。
・マルクスが路上でパンの絵を売る場面。
「さて、お立ち会い!」暗転後まで往来に向かい商売をするジェスチャー、観客の想像の解像度を上げてくれる三木眞一郎…
三木さんはこういうふうに意識的にパフォーマンスをすることもあるけど無意識のうちに出る動きも多い、逆に諏訪部さんは身振り手振りは全て自覚的にやっている気がする、憑依するか、引いて見ているかどっちと言われれば、前者三木、後者諏訪部と思います。三木さんも客観人間とは思ってたけど思ってるよりこれは感覚というか右脳派の人間なのかもしれない…最高…
・ここでフィンセント・浜田・ゴッホ登場なんですけど、ひたすらあどけなく、善人で、穏やかで、無垢な感じの声色。浜田賢二の声って額に細く当たって響くんじゃなくて、喉の後方から鼻腔にかけてボワーと広がるような声ですよね、最高。(基本的に)諏訪部順一は鼻から喉にかけて(おとがいあたりも)、内田雄馬は喉かな(勉強不足)、三木眞一郎は胸(肺のあたり)に響く。個人的に浜田賢二と三木眞一郎は聴いてて心地好い系で声自体が好きすぎる。
・3話、幼少のふたり。諏訪部順一のショタ声がレアなのかはよく知らんが、高い。そして諏訪部氏、子供をやるときは休めの姿勢になるみたいだぞ!身体を変えることで胸に立ち上がってくる心持ちが違うということを知っておられる…
ここでの三木さんまさかのゴッホ兄弟の母として登場。こういう声色も違和感なく出せるの、流石すぎる。この撫でるような色気。
そしてジェローム殿も登場。ウオーッ!三木眞一郎の、振れ幅〜…!コメディもシリアスも女も悪役もできる!すごいぞ
・振れ幅で言うと、内田雄馬もすごかった。5役?もっとか?チャンネルの使い分けに唸る。シリアスな場面に迷いもなくおもしろいトーンを入れてくる。内田さんのそういう台詞のあと、音源からはあまり感じられないけど会場の空気がざわっと揺れるんだよな。そして内田雄馬、身体性まで自在なように見えた。なんていうか、今にも走り出せそうなって言ったら変だけど、腰が落ちてないというか、とにかく身軽で、自由で、楽しそうだった。緊張している様子もなく、スゲー人間だ…
・内田雄馬、6話では老婆もやる!ここが泣かせるシーンで、演技がうまくないとそっちに気を取られちゃうリスクあるところなんですけど、見事に老婆だったので、会場がめっちゃ泣いた。
冬のパリで、40年前の夏の草原の風景を描くシーン。
浜田賢二の、純粋で無垢で真っ白なやさしさが、人間の持っている狡猾さ、意地の悪さを、抉ってくるようなまでに真っ直ぐで、たまらなく胸が締め付けられる。
大袈裟になることもなく、格好付けることもなく、そこにある人物の感情にぴったり寄り添うように話す。目の前に、その光景が見えているように、穏やかに微笑みながら。童話の世界のひとのようだった。佇まいに不思議な引力がある。
・7話、第一部の終幕。
絵を選んでいるときの「どれにしようかな〜」のあとにテオドルスに呼びかけられての「う〜ん?」がほんとうに夢中になってて上の空返事でめちゃくちゃかわいい(死)
・一幕ラストの演出が素晴らしい。テオドルスの激昂。赤い照明。はやる音楽。諏訪部順一担当のお姉様方でこの公演観てないひとはシビれる台詞かなりあるので原作読んでみてください。脳内再生容易に可能だと思われる。
・第二部は8話から。
フィンセントが教会へ連れ去られる。浜田賢二、後ろ手に縄をかけられているように台本を持っていないほうの左手を背後に回している。
・「死ぬのは、俺のほうだ」拳銃のかたちにつくった左手を自分のこめかみに当てるエンターテイナー諏訪部順一…
・9話は8話からほぼ地続き。フィンセントの、弟を信じたい、そういう祈りみたいに、嘘だよねテオ、って縋るような声、繰り返される「いやだ」「やめろ」がどんどん涙ぐんで小さくなっていくのに胸が締め付けられるように痛い…
浜田賢二、沈黙を操れるひとだと思いました。声優だけなんて勿体無いよ〜!このひとにあるテンポは演劇とかに持ち込まれるべきだよ〜!
・兄弟のこの長いやりとりの最中、明転中なのに三木さんが座ったんですよ。いままではきちんとスポットが絞り切られるまで立っていたので、(えっまだスポット付いてるよ!)と思ったんだけど、これ、ちょっと待って、あれ、なんか、そこにいらっしゃるのは…ジェローム…?
いままでの暗転時の座り方は普通にむしろ猫背めで座ってたのに、このときは崇高な芸術家ジェローム殿らしく、踏ん反り返って見事に「偉そう」な座り方なんですよ…えっすごい…兄弟が魂をひっくり返してぶつかり合ってるときに、やっぱり3人立っているのは気が散る、かといって明転暗転を繰り返すのも気が散る、となれば、2人を舞台に残しつつ、自分は傍観者を「演じる」というのが、三木眞一郎、さ、策士〜…!
・この場面ではじめて怒りの感情をあらわすフィンセント。いままでの穏やかさとは裏腹に鋭く低い声、静かな激情。ここでまたライブペイント、なんですけどその前に炎が!19列目でもけっこう熱いくらいの。描かれた絵はこれ。これは終演後ロビーに飾られていたもの。この公演のじゃないのでたぶんゲネのものとかだと思う。
・とまあとにかく、この教会のシーンはけっこうな見せ場であり、いちいち心を動かしている暇がないくらい、めくるめいている。目が足りないと思ったことはあるけど心が足りないと思ったのははじめてだ…
浜田賢二の沈黙の使い方、ニュアンスのシンプルさ、それでいて豊かな感情のブレンド比率に唸り、諏訪部順一の音楽感覚、迷いのない声色の選び方で唸り、三木眞一郎の「追いかけるな、くだらん」で唸る!
このシーン全体の抑揚、見事すぎる。
・10話、手紙を読む浜田賢二、つらい。こんなにいい手紙はないよなと思う。
「ごめん、テオ…」その余韻とともにフェードアウトして絞られていくスポットのなかに佇む浜田賢二の姿が妙に目に焼き付いている。哀しそうというより、悔しそうというより、ひどく寂しそうだった。
・フィンセントの訃報を知らせにきたマルクス。息急き切ってドアを開けた彼が口にする、フィンセントが、「亡くなったと」。この一言に表面張力するニュアンスは膨大だ。衝撃、焦燥、狼狽、痛惜、後悔、悲嘆がすごい速さで流れながらこの一言に込められている。嘘だろ、信じられない、いやだ、信じたくない、けどこれは事実で、早急に伝えなくてはいけない、っていう感じが詰まりすぎてる。拒絶してた事実を受け入れたときに哀しみがどっと押し寄せてくるような。
こんなにハッとする瞬間にはなかなか出会えない。ほんとうにすごい一言だった。一言というよりも、一撃に近かった。
・そのあと、暗転後に三木さん、泣いてたんですよ…oh…汗かなと思ったけど、タオルを顔に当てたあと、台本を観客にかざすように持ってきて、そんなことしなくてもスポットは当たっていないのに、本人の心理状態がそうさせたってことはほんとうに…えっ…でもタオルを置いたあと鼻を啜ってたので、やっぱり…って、思ったけど、三木さんは泣いていることを恥ずかしがってたわけでは決してなく、演者のマナーとして、客にそれを見せない、という配慮だったんだろうなと思いました。紳士…
・幼き日の幻想を見ながら、兄に想いを馳せるテオドルス。「待ってくれ、行かないでくれ、兄さん」。「く」が丸い感じの発音で、すごく幼い。不敵に笑って何事にも動じない男が、そうやって泣くことが、どれだけ異常なことか。声を詰まらせながら泣く、その、声をあげてわあわあ喚いてしまえたら楽なのに、どうしようもなく、抱え込むしかない悲しさ、悔しさ、そういう青い感情が内臓に爆発しそうなくらい渦巻いてるんだけど、ぜんぜんそれが出て行く量に追いついてなくて、苦しんでる感じ。
諏訪部順一、空を仰いだんだよな、ここで。心を抱え込むような絶叫を想像していたんだけど、祈るように、神を責めるかのように、顎を上げて泣くテオドルス・諏訪部・ゴッホ…ちなみに原作でもこうして泣いています…
・そんなシーンのあと、弟・テオドルスへ書いた手紙を読む浜田賢二の、痛いほどやさしくまっすぐな演技が、泣けすぎる。おだやかな希望を湛えて、ひたむきに、つよく、見据えている。決意に満ちているのに、静かで、心は凪いでいる。この声に、会場の空気が一気に、静かに、泣いたのが分かった。「テオ」と何度も呼びかけるその声がやさしく、あどけなさすぎる、兄なのに、すべての信頼を弟に寄せるみたいに…いとしすぎる…
弟に、久しぶりに会えるのを楽しみにしている、と書いた手紙の〆に、「フィンセントより」って自分の名を言うんだけど、これがほんとうに心から嬉しそうに弾んだ声で言うもんで、情緒が、崩壊した…
・11話。テオドルスは兄の人生のシナリオをある戯曲家に依頼する。ジャン・サントロ。フィンセントの絵を見た瞬間、「どうした、サントロ」泣いてるぞ。ここの演出もまた最高だった。演劇の、生の舞台のダイナミズム。琴線、という言葉を思いながら観てた。バイオリンに乗って加速する物語。衝撃からくる様々な感情が入り混じり、叫びだしたくなるような激情が、静かに執拗に、サントロのなかに熟していく。
「金なんかいらねえよ」「こんな面白い仕事はない」
目に浮かぶ涙を振り払うように、鮮明に見たいその絵を滲ませる視界を悔しがるように、慟哭を抑えながら、感動を口走る。台詞を紡ぐ、なんて穏やかなものではない、情動の乱れ。
三木眞一郎の憑依の仕方は凄まじい。ここでも暗転後目頭を摘まんでいたよ…
そして諏訪部順一の音楽感覚はやっぱり素晴らしすぎる!バイオリンが鳴り、あのタイミングで入ってこられるの、なんていうか、長縄跳びがうまい、みたいな(伝われ)、サントロにフィンセントの絵を見せるシーン、「天才の絵だ」からの、バイオリンが入り、「人々の興味を引く画家の人生は〜」のところ、ほんとうに気持ち良すぎる…この三連符めいたテンポ、走り出した音楽とともに歌うように前のめりな加速!
あの加速あった後の高揚に三木眞一郎の演技がハマったような気がして、気が気を呼んだ感じで、すごかった…
・ラスト、12話。
「行こう、テオ、僕と一緒に」
「ああ、ずっと一緒だ、兄さん」
幼き日の兄弟の記憶。男の勲章だと言って背中に傷をつくったテオドルスの隣に、すこし背の高い、兄・ゴッホが描き足されていく。
ステージ奥の絵画に描かれる”FIN…”の文字を4人の演者は振り返ってまなざす。弦の余韻が終わる。暗転。
『かなしみはちからに、慾りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし』
宮沢賢治は言ったけど、そういうふうに、暗がりまで愛せるひとが好きだ。孤独や悲哀までうつくしく、絶望を原動力にできる。ゴッホもまたそうだったんだと思う。この作品に出会えてよかった。ありがとう。
R.I.P. to “bon,au revoir Sorcier”.