若者のすべて

※キャプション※

前半公演のこと書こうと思ったが長くなったので書きたいとこだけ注も入れずに脳直で書く。パソコンないから改行も変だよ

日曜のラストオーダーは早い。

各々伝票を持ち、各々PayPayのQRコードにiPhoneをかざして、おれは煙草の火を消す。

21時。一組ずつ客が帰っていくなか、急に店内が騒然とした。店の赤いドアが開き、眼鏡の度が合っていないおれは目を細める。なんか急かされ、バーの狭い通路を抜けて外に出た。

セティー氏がいた。

あの異常なスタイルのまま、彼は新宿の夜に立っていた。

来るかもな、とは思っていた。いや、言い訳というか、変なアレだが。マチネをそのバーのママが観劇してたから。いや元々おれたちは今宵約束してた。だっておれが遠征するのは決まって土日で、泊まっているのは土曜。金曜は仕事だし、日曜は帰らないといけない。だが土曜の夜このバーは女子禁制だ。嘆かわしいことに、おれにはつくものがついていない。きょうは日曜、そんであしたは祝日の月曜。公演期間中に祝日連休が被っててチャンスだった。それだけの理由。でもさあ、どっちにしろ。そんなことがあるわけはない。だって、あったとして。

ぜんぶ期待することをやめたのは5年くらい前のことだ。誰にも期待しない。なににも期待しない。

お通しを出しながら訊かれた。

「このなかで結婚してるひとー?」

「そんな暇ないよ」

たったひとつのことを愛するだけで精一杯だよ。

ただでさえ精一杯なおれと、ヲタク4人と、ついさっき劇場を出てきた役者4人。

一体なんなんだこの状況は。

間違いなく目の前に推しがいる。

伝えたいことは山ほどあった。あわよくば話したいことも。聞きたいことも。

なんでいるの?って、なんでもだよ。聖地巡礼だよ。すこしでも愛に卑近したくて、たった一人であの赤いドア開けたんだよ。けっこう迷子になったよ。この36℃のなか。歩いたよ。久々に声張って、笑って、道化やったよ。他の4人が来るまで、一人で飲んでたよ。

実際、あったとして。何を話したわけでもない。ただ立ってた。なにもない空間に人がいる、それだけで演劇だと言ったのはピーター・ブルックだ。この立っている位置どうしの距離が実際の心理的距離だ、とかぼんやり演劇のことを考えながら、ポッケのない服着てきて、煙草もなくて、手持ち無沙汰で、マスクのなかで、ただ、ッス、ッス、と小さく呟くことしかできなかった。

後悔しかないのにあのとき何を言えたのかはわからない。これまでもセティー氏になにかを伝えるチャンスは何度かあったが、そういうとき何を言えばいいのかほんとうにわからない。ここまで生きてきたというのに。何度も地獄みたいな夜を。深海のさびしさのなかを。生き延びてきたというのに。

私の手紙は一万字だ。便箋にも封筒にも飾りはひとつもない。真っ黒な手紙だ。可愛くない。自分の話もしない。そこにしたためる一万字を、この場で伝えろと?到底無理な話だ。一万字書くのには何日もかかる。2時間の公演の台本は一体何文字だろう。ただひたすらに、背後にある赤いドアのことを強烈に意識していた。〝ここではありません。〟敬愛してやまない宮沢章夫の、『サーチエンジン・システムクラッシュ』のなかに出てくる言葉だ。私はあの赤い不条理な線の上にいるのか。

そのあとの記憶もあまりない。私は目が悪い。脳も歪んでいて、芝居を観ても幻覚ばかり見ている。なにを見ていたか定かではない。7月の幻燈だった。美しい誤解の果ての。

酔ってもいないのに私たちはふらふらとビルのなかへ入る。何階だったかも覚えていない。1人は終電が早いのに二軒目に来てしまい、1人は飲めないアルコールを頼み、1人はそんな私たちの動揺を見て柔らかく笑っていた。唯一瀬戸担ではなかった1人は先頭をスタスタ歩き、涼しい二軒目へいざなってくれた私たちの命の恩人だった。

ぼんやり席につき、ぼんやり注文する。『トレンディは突然に』を観ていない者もいるというのに、トレンディの殻を被る。乾杯。

「最高の…………………………夏に」

そしてある意味で最後の夏に。

グラスの重なる瞬間、私の脳でフジファブリックの『若者のすべて』が流れ始める。

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

真夏のピークは去っていないし、花火もまだ一度も見ていない。

でも間違いなく今が、真夏のピークで、最後の花火だ。

私たちは放心状態の変な間で会話した。びっくりしたなー。こんなことってあるんだ。え、すごくない?大好きです、ってちゃんと言ってたね。いや私緊張とかしないんで。強、羨ましー。え、てか何歳?名前なんていうんだっけ。みんなほとんど出身地雪降ってんじゃん。どこに惚れたの?え?芝居。うん、芝居。芝居です。にしてもシャツ似合ってたなー。酒入れないとダメだわ。明日ソワレ観るんでしたっけ。ていうかなんで今日だったんだろうね。あツイートしたからみんなでいいねしよ。眠くなってきた。家帰れるかな。ああいうとき、何を言うのが正解なんだろうね。やっぱ、好きです、じゃない?

すでに鮮明に思い出せない。なのにずっとあの光景のことを考えている。

「なんでいるの?」

「観に来たからです。」

「いや、じゃなくて。」

ほんとうにそうじゃなくて。そうじゃなくてさあ。

好きです。

好きです?

いかにこの子たちがあなたのことを好きで、SNSやFCの投稿に一喜一憂したりしていて、あなたの芝居はもっとだれか、まだ出会っていない誰かに観られるべきもので、後世に語り継がれるべきもので、だから書き残しますけど、DVDがあるからとか、そういうはなしじゃなくて、あなたの美学のことを、絵解きされたくないであろう芝居の種明かしを、死ぬほど奇麗で汚い感情のことを、ていうかもう一回、あの20個の質問やり直していいですか???????????????

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

きっと、ひどく空虚だった。ぽかーんと空いた時空の歪みに落とされたみたいに。演劇を一本観たあとに訪れる、世界のまなざしの変化。フィクションは世界を変えられるが、現実は相変わらずだらだらと続いていた。私たちは終電を気にし、アルコールに支配されることなく、最後まで推しの真似をしたりして、23時の明るい駅の前で別れた。

生きていてあと何度、こういう夜を過ごせるだろう。ホテルまでの帰り道でぼんやり思った。思い出せることはどんどん少なくなっていく。消えないように、書き留めて、書き留めて。じゃあ書き留めている私のことは一体誰が。これは引用。私は引用で出来ている。これも引用。舞台で喋ったことがある。演出家にラストを放り投げられて、10回中10回、毎公演なぜか泣きながらぼたぼた言葉を落としていた、期待していた頃の私の言葉だ。

ひたすら孤独だった。本質的にいまも変わりはないが。それでもインターネットに怪文を書くだけのヲタ活だったのに、いまは彼女たちの声を知っている。だらだら続いていく日常の、仄暗い毎日の生活のたったひとつの居場所がフィクションだったことを1人の帰路で思い出した。私には本しかなかった。お笑いしかなかった。アニメしかなかった。落語しかなかった。演劇に出会えた。演劇部だったわけでも、どこかで習ったわけでもない。地方で、通信教育のように映像を探し、ヤフオクで絶版の戯曲を買い、黙々と勝手に好きになった。勝手に私淑していた演出家はもうこの世にいなくて、勝手に毎日セティー氏のことをありがたがっている。ありがとう、と言えたらよかったんだろうか。ありがとう、という言葉を伝えたところで、たとえば好きという言葉が書いてあるラブレターなんてあんまり意味のないものだろう。わかってる。そんなことわかってる。だけど、それでも。私は一万字の手紙のなかでも、セティー氏そのものに好きと書いたことはない。セティー氏が板の上でだけ溢すマグマを、できるだけ野性的に掬いたい。彼が役者を続けていくときに、標の言葉には、まあ、なれないよなあ。

あの場にいたみんながそうだとは限らない。私と付き合ってくれる仲間は、こんなエモフィクション文などインターネットに書いたりしない、低温で心地よく、賢く、優しく、謙虚な愛すべき人間たちだから。

でも10年後、たぶん、この夏のすべての記憶が、この夜の記憶だ。

死ぬほど湿った東京の路地。一滴も泣いてはいないのに一生分泣き腫らしたような頭痛と、見失うほどに前を行く彼女たちの、ネオンの反射する首筋。

この夜。このたった一夜の、たった数分の死ぬほど中身のない出来事の記憶を、きっとこれからずっと大事に携えて生きていくんだろう。

明日は10時チェックアウトなのに、まったく眠れそうにない。でもきっと眠る。きょうだけはすこし夜がやさしい。