リアリティのはなし

いまBSプレミアムにて火曜夕方くらいか「ぼくらベアベアーズ」と「アドベンチャー・タイム」が続けて放送されていてどっちも見ているけど外国のアニメってなんであんなこわいのか


ベアベアーズもアドベンチャータイムもカートゥーンのかわいい絵柄でぜんぜん生きてる人間の匂いがしないのにやけに生理感覚がリアル。皮膚が爛れるわ垢が出るわ。鳥肌立つ。書いててもうキェーッとなるので画像は絶対に貼りません。

いろいろめんどくさいのでいまからは一般化して言うとのはなしでいきますがあっちのアニメはどうしてこうほんとうのリアルを描いてくるのか。デフォルメはしまくるのに排除はしない。

だいたいの日本のアニメは見心地の良さのためにいくらでも御都合主義的にきれいに描かれまくる。傷さえうつくしい。とりあえず目を背けたくなるものはぜんぜんない。血がダメとかの人以外はほんとにぜんぶ見てられると思う。

対して外国(漠然)のアニメはほんとに見てられないときがあるというか目を背けたくなる、生理的にダメですみたいなのがけっこうあって、今回に関しては太宰治の『皮膚と心』を読んでいただければよくわかると思います。集合体恐怖症のケがあるひとは無理!という感じ

しかしこれが漫画だとまた違ってくるからあんまり一概には言えないんですけどね

ちなみに個人的いちばんトップのトラウマアニメはディズニーの「小さな家」でありこれは見ないほうがいいです。リンク貼りましたけど見ないほうがいい

おたくをやっていればわかると思うんですけどフィクションのほうがリアルに迫ってくることってあるじゃないですか、フィクションのなかでは感情が劇的で、純度100パーセントの或る感情のために場面が用意され続ける、すなわちそれが物語であるということなんだけど。

例えば戦争。インターネット世代のわたしたちはこの肌で戦争を知らない。だけど小説やアニメやたくさんのフィクションを通り抜けてきて、その凄惨さを知っている(ような気がする)。愛するキャラが戦ったり泣いたり死んだりして、たまらない酷さをわかっている(ような気がする)。

こわい、とか、苦しい、切ない、悲しい、そんなことを言われてもぜんぜん伝わってこない。だから、そのたったひとつ或る感覚の表現のためにフィクションは描かれるし、それこそが現実よりもリアリティをもって迫るのはそりゃそうだと思う。

まして日本人は俳句とか短歌とかで感覚のアイデンティティをギュッとして遊ぶ人種なので、それがうまいのだと思う。だから日本のアニメはすごいのだ。感情の純度が高い。

フィクションのほうがもはやリアルで、リアルは実感が湧かない。だから例えばアニメというフィクションを通して、はじめてその感覚の意味を知る。きちんと気付くというか、身にしみて、改めて、「ハッとする」。記号だけでわかっていたものに、記号内容が満たされるので、実感が湧く。それが自分だけにとってのリアルとなるわけで、そのリアルはフィクションでつくられた不純物のないリアルだからこそ、ほんとにリアリティがある、というはなしです。日本人はそういう感覚を掴むことを得意としており、それこそがニッポニア・アニメ・カルチャーにつながっている。いま適当なことを言いました。

とどのつまり外国のアニメはこわいということ