バサステの瀬戸祐介氏がよすぎて落ちたので書いたクソデカ感情ポエムブログです。だいたいツイで言ってたのと同じことを書いてます。
以下この記事についてのキャプション↓
とにかくバサステでの瀬戸祐介氏のことを、というか筆者が瀬戸祐介氏のなににこんなに揺さぶられたのかということをここでは書きます。ほんとずっと鳥肌立ってて結局さいごまで止まんなかったもんな。つまり彼のどんなとこが推せるのかみたいなのはいろんなDVD見てからまた別個に書きますねということです
ちなみに瀬戸祐介という役者のことは刀剣乱舞とヒロステで既に観てたのに急にバサステで落ちた。一体なにが起こったのか…
あとBASARA原作のことはなんも知らんですすいません
配信見てメモったとこ以外はうろ覚え思い出し記憶だし違うとこあるかもしれん すいません
後半になるにつれクソデカ感情とネタバレがめちゃくちゃ多くなるのでよろしくおねがいします。
冷静なうちに言っておくとバサステわりと脚本と構成よかった。演出もなんか思ってたよりよかったぞ…!あと音にたいする感覚はかなりいい気がする。強いて言えば「モノ」にたいする感覚が、役者のせいではなく、「そう」見えなくなってる部分が多々ありましたな〜〜〜演劇におけるモノって記号になりえて、客の意識が宿る部分でもあるので大事にしてほしいなあと思う。まあ普通にそこにペットボトルはないだろ!みたいなことなんですがね。そういう小道具そのものと、モノへの意識がね、惜しい。例えば「剣が軽く見える」とかね。これは役者のせいではないんです。物語をいかに紡ぐかというコンテクスト、場のつくり方のはなしで、やっぱり演出が効いてくるべきところなんですね。あーあと階段落ちしてるアンサンブルの照明を絞ってしまうとかそれはどう考えてもナシだろという感じでしたが。演出の役割について話そうとしたけど前置きにならなくなっちゃうからやめよう。でも2.5における「原作を平面から立体に立ち上げる」という部分では大成功してたと思うので筆者的には大拍手でしたぞ!!!!!
よし。瀬戸祐介氏のことを中心に時系列で語ってゆくぞ!
・まず全般のせりふのはやさ。芝居がうまいひとってせりふがはやいんですよ、そう筆者は思ってるんだけど。たっぷりやりすぎない、というのはなかなかできない、なぜなら気持ち良くなっちゃうからです。芝居に酔うという。
でも彼はそれをしない。芝居のテンポがいいなあと思う。醒めるまでいってないんだけど、けっこうフラットな脳のまま舞台に載っていて、だから日替わり要員も多いんじゃないかと思うわけですよ。芝居にのめり込みすぎるタイプはそういうのできないから。これも後述するけど。
ていうか声がいいよな…普通に喋るトーンは細めで高めな気がするんだけども、舞台でみたことあるのはだいたい低くて太くしてある。でもそれは声色を変えてる(チャンネルをかえている)わけではなくて、舞台発声だとこうなる、という、舞台上ではぜんぶわりと同じ声。
2.5って「カテコでも役を解かない」とかあったりするけど(もちろん筆者はそれも好きですが)、瀬戸祐介氏はわりとどこの現場でキャラから役者が透けて見える。彼にはそういう印象があって、でもまったくエゴっぽくはなくて、自然に透けてきている感じがするんすよ。好みは分かれるとは思うんだけど、キャラ演ってるときに自分が「出てきちゃう」、というよりは、キャラを透かして役者の味が「滲んできてる」、そういう感じがする。中の役者を魅せる。それを嫌味なくできる。それができるというのはものすごいことなんですよ。いい役者です。
・南側の砂漠(?)に揚羽が助けにくるとこ
ここのさあ、滑り込んでくるような殺陣!!!!!
ここまで深く屈み込めるのってなんか新鮮というか、殺陣してるときに足の裏見えるのオッと思ったんですよねえ、っていう感想
・日替わり担当の男瀬戸祐介
この舞台でもアドリブ部分任せられてたよお!「笑い」をとれるというのはねえ、並大抵のことではないんすよ。まず日替わりのアドリブという時点で、物語からすこし外れるわけだから、「キャラへの愛で笑う」という領域とはまたすこし別の部分でたたかわないといけない。キャラと役者のあいだにうまく立っていないと客は笑ってくれない。しかもキャラの延長線上にいないと笑ってくれない。なのにですよ、瀬戸祐介氏は二枚目の役とかカタめのやっててもどっか愛嬌があり、あ、この人は笑っていいな、と思わせるフラがある。レアなんじゃないでしょうか。嫌味がないのは彼の人間性なのだと感じております。これはヒロステのときもそうでしたが。
・マダムバタフライ(帰蝶)のとこ
はい、ぜんぶいい。こういうのできると思ってなくてさあ、ちょっと…情緒が大変だった…かわいくて…揚羽が女性に扮してるんですが…また衣装がとてもいい。本人もブログに書いてたがほんとに奇麗だった。
意外にシナをつくれる身体。そして声ひっくり返して喋れるタイプなのがすごく推せたポイントです(ニーテンゴ系は原作に声優という正解があるため、声の出力にがんじがらめになって芝居がゼロになることが多い)(ニーテンゴじゃなくても声優にもわりと多い きちんと喋らないとと思いすぎるタイプはこうなる 人は普通に喋ってれば声も裏返るし、声帯を震わせないまま息だけで喋ることもある、みたいなことです)。
あとせりふ以外の声(さあさあさあ、とか、知ってるわのあとのン〜とか)の差し込み方が素晴らしいですね(漫画だと吹き出しの外に書いてあるみたいな部分のことです)。
四道が去ったあとの「ったく、バカだなあ」っていうせりふから男(揚羽)に戻るんですけど、その切り替えのスパッとした翻り方がめちゃくちゃいい。こんな達者さを持ち合わせてたのは知りませんでしたよ…ポテンシャル…
「まだ気付かねえのか俺だ俺」の顔最高だし「おまえも板についてるぞ」の語尾にハートついてる感じとか最高だったぞ…ハ…?まあ単純にこういうキャラが好きなのもあるけど瀬戸祐介氏がこういうの得意と思ってなくて…ありがとうございました…死…
・海にきた揚羽(女の格好のまま)
なんとここで!!!!!脱ぐ!!!!!性癖です それしか言えません いや言いたいこといっぱいあるし言う!!!!!(ていうかTLにいたヲタクがバサステで瀬戸さんが脱いでると萌え散らかしていて筆者はそれなら見るか〜つってそんなエロ本買うみたいな理由で見て普通に落ちたんで天罰だと思ってますほんとすいません)
揚羽の背中に刺青が入ってるんですよね。このあとに四道から語られるんですけど、奴隷時代の名残で。その刺青がけっこう、なんていうんだろうな…腎臓のあたり(部位のセンスない)より下に入ってて、ちゃんと上の衣装を下ろさないと見えづらいんですよ。だから刺青見えやすいようにけっこう腰のあたりグイグイに下げててエッ?!?!!?!あのあのあのあのちょっまっ待ってくれそこまで脱がなくていいよ!!!!!!!!!!サービスしすぎだよ!!!!!!!!!!って一瞬思ってしまってすいませんちなみに下までは脱がないよ!!!!!!!!!!(土下埋)
・更紗がバレてからの帰蝶の舞台
上からスポットが当たって、そのあと曲流れはじめてスポットが消えるんだけど、そこの艶っぽさといったらない。顔の角度とか 目線 まなざしの強弱 ぜんぶよかった。でもわざわざ女っぽくはしてないんですよ、女性的ではあるけど、女っぽくはない
この違いわかりますかね?
なんていうか、人間がみんな持つ色気、それが醸し出されるような感じっつーか…手拍子する振りも男が残ってて(脇がひらいてるとか)それがめちゃくちゃ良い
ハケ方も胸からいってて、ちゃんとこのときは刀を携える揚羽ではなく「パフォーマーの身体」になっている。お辞儀もちゃんと恭しい
こんなに身体性のチャンネルを切り替えられる人だとは思ってませんでした…刺さる…
・そんでさあ…更紗匿ってたことがバレて捕まる揚羽…手錠、そしてなぜか上裸なんですけどありがとうございました…
ここやられてるばっかりじゃないんだよね、姿勢が前のめりなんですよ 挑発というにはあどけない感じ 奴隷だったことがうかがえるようなね…まあこれはヲタクフィルターだとは思いますが…
さんざん挑発して朱理(赤の王)に「…だから(何)?」って言われたときの絶望の表情よ これ後述しますがおんなじ顔してるのよ 四道に言葉が、手が届かないときの、誰かに見捨てられるときの絶望とおんなじ顔してた
・捕まったままの揚羽、手錠のまま出てきますがここがまたいいんだ!前で両手首に手錠かかってるもんだから、なんで言えばいいかな、肘を曲げてうしろに引く感じで手首をかるく折って、立ってるんですよね スタンダップコメディの人みたいな?伝わるかこれ?プレゼンうまいひとみたいな?伝わってんのか?
筆者は瀬戸祐介氏は関節がカタい役者だと思ってたのでこれがまあびっくりで最高だった…
手錠かけられたまま腕下ろすと身体的に気持ち悪いっていうのを自覚的か無自覚か、分かってるんだなあっていう 何言ってるか伝わるかねこれ?このシーンは個別に身体が違うよっていうはなしをしますね
たしかに手首完全に折ってはいなくて、あとたぶん彼はもともと親指が内側に入ってるひとなんですよね 参照↓
それがやたらマジシャンとかコメディアン感かんじさせてくるんだよな。マジシャンの手のスタンスってあるじゃん、パームしやすいように親指内側に入ってて、かつなんも持ってませんよ感を出すために小指が引けてるっていう。手がそれなんですよ。手錠かけられても尚こういう軽さを持っていて、揚羽のキャラクター性、腹に何抱えてるかわかんない飄々とした奴、ってかんじがここであらわになって、めちゃくちゃ推せポイントでした
・そんで四道との掛け合いのなかでの音感のよさ。音ありのシーンのなかで言うせりふあったんだけど、先述したとおり彼はせりふのテンポがいいんですね、淀みない。なのに、あれ?間がある、と思った一瞬があって、なんだろう、と思ったら、その次に雷鳴のようなSEが鳴ったんですよね。あー、待ったんだなって。この人は音をちゃんと聴いてんだなってわかったんであの瞬間はめちゃくちゃいいサンプルになりましたありがとうございます
・何を恐れている?って揚羽が四道に言うとこがあるんですけども そして四道に皮肉を言うんです、「その律儀さがおまえの身を滅ぼすぞ」と。
筆者はこのへんで、このBASARAって作品は原作を読むべきだなと思いました(まだ原作のことなにもわからないけど、最初は少女漫画系譜のハーレムもんだと思って観てたんですよ。女の子が男の子のふりをして、うーん、世代的なもんで言うと花ざかりの君たちへみたいなもんだと思ってたんですよ。でもさあ、女であることに違和感を感じたことがあるひとは分かると思う。この更紗にかけられる言葉たちは、救いになってるんだと。「泣いてると思われたら、みっともないだろ。人の上に立つ男が」とかさ、このせりふはじめ聞いたときは笑っちったんですよ。「人の上に立つ男が」まで聞いて、ハッとしてなんで笑ったんだろうって思って自分の心見つめてみたんだよね。そしたらただ単にNLへの恥だったんですよね。冷笑だったんですよ。自分がみっともねえなと思いました。これはたぶん舞台BASARAじゃなく原作BASARAへの感想で関係ないんだけど。骨太で劇団新感線みたいな構造の話だったよ。なんか昔愛し合っていた者どうしが決着をつけなければいけない系のつらいやつ)
読むべきだと思ったのは、登場人物たちのあいだでの情のかかりかたがすごかったからなんですよね。
例えば、揚羽はずっと四道のことを見ている。四道ががむしゃらに進んでいくのを一歩下がってただ見ている。四道が何に振り回されているのかを知りながら。
情の交錯の方法が複雑で、でもそうだよね、自然は入り組む。恋とか愛とか「わかりやすい関係」では一概に語れない情があり、それは長い物語を頭から順追って通り抜けることでしか理解できない。喜怒哀楽の、嬉しいだとか哀しいだとかいう形容詞ではあらわしきれない、その一回性でしかない、割り切れない感情。それを表現するには、人物が、どういう状況で、どういうバックボーンをもっていて、どういうことをしたか、なにを見て、なにをしたのか、ひたすらに語っていくしかない。それを文学といいますね。この作品は文学かもしれない。
・じゃれているだけだ。のあたりめちゃかわなのにめちゃ苦しい。さいごのせりふというか揚羽の気持ちを知っていて思い返すと尚苦しい。はあ…
・これじゃあまるでタロットカードだな。
このせりふ洒落効きすぎ最高。このあと手錠が外れて殺陣にいくんですが登場シーンあたりでやっていた「刀と鞘を両方逆手で持ち、外側へ斬り付けてから内側に斬り付けて、また外側へ」っていう刀捌きをもう一回やっていた。これ、揚羽だけの特徴的な戦い方なんですけど、動作が「ひらいてとじてひらく」なのはもしかして〝揚羽(蝶)〟だから…?????だとしたら最高の殺陣振りですありがとうございました
・ぼろぼろになった四道とこ
ここからがもうダメだ〜〜〜という感じの…ここからあとはもうぜんぶいい。もうこの時点で揚羽に惚れ込んでおりました。せりふが全部いい。すべて皮肉・嫌味・冗談に聞こえてそれでいてぜんぶ裏腹な言葉。揚羽…。そんでそういうむずかしいせりふを、「テーマを背負いすぎずに」言ってくれた、演じて伝えてくれた瀬戸祐介という役者に大拍手です。
(テーマを背負わない、というのは、読者がもうバサラはこういう話だ、ということを知っていて読むのと、揚羽はこういう顛末を辿るんだ、四道はこういう顛末を辿るんだ、と思いながら演じるのとはちがう、みたいなことです。この悲しいシーンでも揚羽は泣きに入らずに、いつもどおりの冷静さをもって皮肉屋であり続ける。そういう揚羽だからこれからくるシーンで客は泣くんです。揚羽は感情を表にださない人だ。だせない人だ。だからこれからのシーンは台本に書いてあって何度も役として通っているから当然知っている。でも、ここではやっぱり揚羽はまだ知らないんです。この芝居の一回性を保持することがどんだけ難しいか。この役者の飾らなさからくるもんなのでしょう。いちばん初めに言ったせりふのはやさもそう。さらっとやってしまう。やってやろう!って思ってしまいそうなもんなのにな。こんなエモい役。なのに淡々とこの役を生きている。素晴らしい役者です。長くなりました)
・こっからさらにめちゃくちゃ長くなります。超わかりにくくもなります。ほんとごめん
以下のせりふだけ覚えててもらえたらここは飛ばしてもOKです。
(でも揚羽のこの言葉の理由をいちばん話したい。本記事のタイトルにしたのもここの揚羽のことです。そしてそれを瀬戸祐介氏がどう捉えているかがわかると思うのでできればついてきてくれ)
「揚羽。今度は邪魔するなよ」
「四道。死ぬぞ」
という20秒くらいのシーンがありますが。
ここでなんかめちゃくちゃ心が立ち止まってしまって、なんでだろう?って考えてみたんすよ
目に見える流れとしては、
・四道に刀の切っ先を突きつけられて、揚羽は伏し目で顎だけがクッと上がる
・ここで四道のせりふ「揚羽、今度は邪魔するなよ」
(揚羽はそれを聴きながら目(眼球)がまず動いて、首がついていくかたちで四道をグッと見る)
・見たあと、顔のぜんぶで四道を睨むみたいにほんの少しずつ(でも確実に)前のめりになっていって、「四道、」
・そんで、四道が揚羽を見て目が合って、2人で見合ったあとで、「死ぬぞ」。
この流れのなかで、揚羽の胸が上下してるんですよね。いろんな意味で。
このそれぞれの呼吸のことをひとつずつ語っていきますが。でも呼吸って流れだからふたつずつくらい語ることになってしまいますが。
人間って吸ったら吐くし、吐いたら吸う。このシーンではそこに違和がずっとある。普通に考えたら、そこで吸わない、そこで吐かない、そこで止めない、みたいな違和感が。
だって苦しいからさ。吸ったら吐く、吐いたら吸うのが、普通の人間の、自然な身体の流れだから。
なのでそれについて今からネチネチ語ります覚悟してください
ちなみにぜったいわかんなくなります。何度見たってわかんないし、書いててもわかんない。そのくらい違和がありますよこの呼吸には。すごいよ。
えーと何て説明すればいいんだろうなあ…
・まずは、四道に刀の切っ先を突きつけられて、揚羽は伏し目で顎だけがクッと上がる、というとこからいきます。
四道に切っ先向けられて、ここでは〈息を呑む〉。
これは反応としての呼吸。刀を突きつけられて一瞬息が止まる。
・次に四道のせりふ『揚羽、今度は邪魔するなよ』
揚羽はそれを聴きながら目(眼球)がまず動いて、首がついていくかたちで四道をグッと見る。
ここでは浅い呼吸。息が止まったあとに、見るまでまだ油断ならないというようなちょっとハラハラするような感じ。
・それから揚羽のせりふ『四道、死ぬぞ』
もうね、ここからわかんなくなります。
なんかもはや楽譜が欲しい。楽譜書けないけど。
要点が6個くらいあって、以下です。
『揚羽、今度は邪魔するなよ』
『①②③……四道④…⑤…⑥…死ぬぞ』
は?
えっとまず、このシーン、というか、このせりふを言うときにですね。
一息を「吸って、吐き切る」までとすると、揚羽は二息でせりふを言っている。
『/……四道/……死ぬぞ』
↑こうです。ここでもう違和感。
『……/四道……/死ぬぞ』
↑こうじゃないんだっていう。言葉を話そうとして息を吸うんじゃないんだっていう。
これね、ここで吸ってこのせりふ言うのやってみてほしいんだが、「死ぬぞ」の身体がもうね、すっごい硬くなる。
硬い言葉。この言葉を揚羽がどんな気持ちで言っていたのかということがわかるような硬さだった。だからあんな飄々と言い放ったくせに苦しそうに見えたんだなって。
よし!それじゃあいくぞ!
物理的な身体の状態と精神的な心の状態を混ぜて語るのでついてきてくれ。
■一息目
おさらいするとこのシーンのせりふは以下です。
『揚羽。今度は邪魔するなよ』
『四道。死ぬぞ』
そんで今から語るのは以下のなかの一息目、①②③です。
『/①②③……四道/④…⑤…⑥…死ぬぞ』
・『邪魔するなよ』と言われてからは〈①一瞬間があって〉、それから鼻で笑うようにふっと〈②息が吐かれる〉、そのあと、〈③頷く〉。
① あの〈一瞬の間〉で、揚羽は「言葉を失っている」ように見えるんですよね。
それはたぶん、揚羽のキャラクターから見たときの違和感。あんなに飄々として身軽なキャラクターである揚羽が「固まる」っていうのがね、もう、ただごとではないというか、このシーンの緊張感を助長してる感じがする。
② 揚羽はその一瞬の間で言葉失って、そのあと息をふっと〈吐く〉。溜息にも似てるけど、鼻で笑うみたいに、でも一切笑わずに。この〈吐く〉が嘲笑みたいにも見える。
③ この嘲笑みたいな溜息のあと、すこし〈③頷く〉んですね揚羽が。
この頷きも、首肯ではない。理解でもないし納得でもない。ああもういいよ、わかったよ、おまえの好きにすればいいよ、どうぞ勝手に。そういう感情が見えた気がする。
だから、②のふっ、ていう呼吸が嘲笑にも似た諦めと投げやりな感情みたいに見える。
で、『四道』と、名前を呼ぶ。
ここまでが一息。つまり一息吐き切るその最後の息で『四道』と言っている。
まとめると以下。
『/①②③……四道/④…⑤…⑥…死ぬぞ』
(①固まって言葉を失って)
(②鼻で笑うように息を吐いて)
(③その嘲笑の溜息をまだ吐きながらウンウン頷いて)
で、せりふ。
この③までの態度は、二息目の『死ぬぞ』というせりふにかかってきます。
■二息目
もう一回おさらいするとこのシーンのせりふは以下です。
『揚羽。今度は邪魔するなよ』
『四道。死ぬぞ』
そんで今から語るのは以下のなかの二息目、④⑤⑥です。
『/①②③……四道/④…⑤…⑥…死ぬぞ』
④ この前になにが起きていたかと言うと、②溜息しながら③頷いたあと『四道』。
ここで一息目が吐ききられる。
なので、『四道』の直後にブレスがきています。そのブレスが④。『四道』と言ったあとすぐに一度大きく、音が聞こえるくらいに〈息を吸う〉んですよ。肩が上がるくらいに、大きく息を吸う。
⑤ そのあと、なんと〈間がある〉んです。これが⑤。さっきも言ったけど息を吸うのは息を吐かないといけないからで、吸ったらすぐせりふがあると思うじゃないですか。でも、間がある。
⑥ んで、その⑤の間のあいだにね、一回、〈唇が閉じる〉んですよ。これが⑥。
・『四道』と『死ぬぞ』の間のこの④⑤⑥がすげーんだ…
大きく息を吸った(④)けど、すぐにせりふを言わない(⑤・⑥)。このあいだ2秒くらい間があるんですけども。
これがどういうことか。
・言い淀んでしまったんでしょうね、揚羽は。なんと言いたかったのかはわからないけど、『四道』、そして息を吸って(④)、何も言わないまま(⑤)、言おうとした言葉を飲み込むみたいに、唇が閉じる(⑥)。言いたかった言葉。言えなかった言葉。こうやって一回息を吸った(④)のに唇がいったん閉じる(⑥)ことで、人間の自然な身体の流れにここでも違和が生じるんですよね。この違和が、「無理矢理」「溜飲を下げる」って感じにも見えてさあ…。ハ?つら…
・で、すごいことに、⑥で唇閉じたあとに、そのままほとんど息を吸わずにせりふを言うんだよ。少なくとも④よりは吸わないまま、『死ぬぞ』って。
2秒の〈間〉があれば、この(感情的に)言いにくいような『死ぬぞ』ってせりふなんて、息を大きく吸ってから言ってしまいそうなもんなのに。
『死ぬぞ』のまえに大きくブレスをしないことで、言葉がうまく出ていかないんですね。相手に届けるほどの息がないことで、言葉が相手にあまりかからないんです。どちらかといえば、自分のなかに留まって響くような言葉になる。そしてそれでも相手に届けようとすると息を吐くために腹筋を絞ることになり、より硬い言葉になる。でもこの言葉を相手にかけたいかもわからない揚羽にとっては、四道にかけるでもなく、自分に留めるでもなく、自分と四道のあいだの中空に浮かすような言葉になっていたと思う。このバランス感がすごい。
はい。よってまとめると以下。
『/①②③……四道/④…⑤…⑥…死ぬぞ』
(①固まって言葉を失って)
(②鼻で笑うように息を吐いて)
(③その嘲笑の溜息をまだ吐きながらウンウン頷いて)
その息の最後で
『四道』
ここで息が吐ききられて、
(④大きく息を吸う)
(⑤間がある)
(⑥唇を閉じる)
このまま息をあんまり吸わずに、
『死ぬぞ』
・この「死ぬぞ」っていうせりふの音程自体も、死ぬぞ、の「ぞ」をフワッと抜く、っていうような、どちらかといえば『いいんだな、』っていう言い方なんだよ。いいんだな、俺は言ったぞ、ほんとうにそれで、死ぬけど、いいんだな。それでも、行くんだな。
ほんとうに四道を止めたいならば、ほんとうに警鐘を鳴らしたいならば、例えば「ぞ」に強いアクセント置いて死ぬぞ!って言うべきなんですよ、やめろ!の言い方で。それか、プラスで死ぬぞの「ぬ」を上げて、『?!』というようなニュアンスにするべきなんですよ。やめとけ、そのままいったらおまえ、やめとけよ!って。死んでしまうぞ!って。
これらの言い方をするときはたぶん言う前にブレスが入る。大きく息を吸ってから言うだろうなと思う。
けど瀬戸祐介氏はそうしなかった。
溜息して、この状況を呑み込むみたいに頷きながら、『四道』。
息を吸って、なにかを言いかけたのに、やめて、口をつぐんで、『死ぬぞ』って。
投げやりながらそっと置くみたいに。
この、絶品の諦観。
ここ単体だとそんなに響いてこなくても、これが最後の四道のラストにかなり響いてくるんだよ。
まだこのあとも読んでくれるひとは揚羽のこの途方もないような、果ての果てのそのまた果てのような諦観を覚えていてください。
・しかもこのあと(四道、死ぬぞのあと)の四道のせりふがさあ、『死なんよ。俺には待ってる人(千手・婚約者)がいるからなあ』っていうさあ……。
『俺には待ってる人がいる』そう言われて、揚羽はまた頷く。ああわかったよ、そうかよ。
ここではじめて表情が崩れる。
突きつけられたままだった刀を全身で振り払うみたいに跳ね除けて、それから、四道を見る。
揚羽は跳ね除けただけなのに、四道はまともに立ててない。
揚羽はそんな姿をじっと止まって見てる。死ぬぞ。いいのか。いいんだな。
そのあとはもう四道を見もせずに踵を返して去っていく。 後ろ髪引かれる素振りもなく。泣いている人みたいなはやさで。何も言わないまま。
ハ〜〜〜…………もう揚羽がヒロインすぎて筆者はもうね、ダメですわ……
・そのあと四道が死にます。その走馬灯のような回想(あえて回想と言っておく)のシーン。
筆者は回想って本人を「入れずに」やるのが効果的だと思ってんだよね、回想って誰かの主観だから。
だけどこの四道の回想であるはずのシーン、四道本人が「入ってる」んですよ、そして四道とは関係ない軸が混じっている。
なにが起きてんだ?
はい。さっきよりはわかりやすいとおもいます。以下。
四道がね、「入ってる」のは回想の初めなんです。なんかたぶんいろいろと幼き頃からの諸々(いま四道が仕えている赤の王とのチャンバラとか)があり、それをね、舞台下手上のほうに、揚羽が出てきて、見てるんです。
揚羽、はじめ出てきて四道を見てて、そっからうずくまる。んでふっと顔を上げた先に四道が見える。そしてゆっくり立ち上がる。
一方、四道は下手の階段登っていって、揚羽のいる場所を通ろうとする、そこで揚羽が一歩近づこうとするんだけど、擦れ違う。
ここです。「四道の」回想としてはありえない展開。だって、揚羽のこと見てないんだもん。素通りしてんだもん。主観として起こるならば、揚羽は四道のその回想に「いない」はずだもん。
もし四道が「自覚して」無視したから擦れ違った、ってことなら四道の回想になるんだけどでもそうじゃない。四道は気付いてないんです。気付かずに擦れ違って、気付かなかったのは四道の視線の先に愛する人(千手)がいたからで、だから気付かなかった、そういう擦れ違い。
要するにこれは、揚羽の回想でもあるんです。
そのあと、四道が上から舞台全体を見下ろして、いろんな軸でいろんな出来事が同時多発的に起こっていく。
それを四道は笑顔をなくして見ているんですよ。ここで四道の役者の身体が違う質感に変わるわけです。叙事が叙情と入れ替わり立ち替わり舞台上に現れる。
だからここからは四道の目を通したイメージ、主観も入ってくる。
そして揚羽の叙事も変わらずにそこにある。
そのあと1人だった頃の揚羽が、手を差し伸べられたかと思えば取り上げられて絶望するようなシーン。後ろから触れられただけなのに拒否反応みたいな反射をしていて、もしかしてと思ってちょっとWikipediaみたけどほんとにそうだった。揚羽…
そこに四道がやってきて毛布(じゃないけど)で包み込むようなところがあって、でもそこでも2人の感情がきちんと交わることはない。四道は自分が仕えている赤の王のために「死ねる」、自分が愛している千手のために「死ねる」、そんなことをさらっと言ってしまうような男なのに、四道は揚羽に、毛布をかけてやるだけなんだよ。揚羽はそれをただ握りしめることしかできない。
そういう関係性が立ち上がりながらも、いろんな人の主観として回想が成り立っていく。短いながら深みのある、壮大なシーンだった。
・そんで最後。四道の最期。
筆者が心を捕まれて急所にブッ刺さって抜けなくなったシーンです…。
倒れてもう動かなくなった四道。そこに揚羽がゆっくりやってきて、毅然とした仕草でパッと裾払ってその傍に屈み込む。ここがもう良い。絶望したように膝からいくとか、力失ったように座り込むとかじゃなくて、しゃんと背が伸びたような姿勢のまま、片膝だけ折って屈み込む。
そして四道の全身を眺めるんだよ。眺めて、うんうん、ってまた頷いて、頷きながら、これまた納得するみたいに唇結んで。
揚羽がしずかに話しはじめる、四道。奴隷の子供に優しいご主人様だったよ。ペットのように憐れんで、世話をしてくれたな。あくまで、一段下の者として。四道。四道。俺、俺が嬉しかったと思うか、嬉しかったと思うか、四道。対等でありたかった。おまえには分かるまい。もう永久に、分かるまい。
『俺が嬉しかったと思うか、嬉しかったと思うか、四道!』っていうせりふ、この一連の前に「俺、」っていう声が嗚咽みたいにちいさく入ってて、泣いてるじゃん…揚羽…エーン…
『対等でありたかった』。その言い方が、自嘲にも滲んで聞こえた。対等でありたかっ、た。という、言葉の途中で我に返って、喉の奥で過去形に転がすみたいな感じ。そう、ありたかった。そうじゃなかった。
あんなに悪態にも似たような手向けの言葉吐き捨てるみたいに言ってたのに、胸ぐら掴んでた手は乱暴に離れていくのかと思えば、ぜんぜんそうじゃない。
「おまえには分かるまい」、そう言いながら一瞬力込めて拳押しつけるみたいにしたのに、次にはもう力抜けたみたいに、ふっと手放す。ここの顔があどけなくてね…なんて顔するんだろうな…
そしてけっこう毅然とした動作で自分にかけてもらった布を被せてやって、仕方ない、みたいにまた頷いてる。それは諦観にも見えるのに、途方に暮れたみたいな幼い顔、泣きそうな顔。どっか安堵にも見える。
身体を手放したときのあの感じ、知ってんだよなあ、と思う。泣いて泣いてどうにもならんって我に返ったときの人間の感じだ。見たことあるし、身に覚えもある。あんな出力はやろうと思ってたら出てこないと思うから、ちゃんと彼のなかで感情が動いてたんだよなあって。いやそりゃそうなんだけどさ。
はあ。もっとお顔見たかったな。お顔見たすぎてちょっと下から覗き込んだもんな、配信なのに。
そのあと気持ちなくしたみたいにすっと立って、去る。ここも動作は毅然としてる。
でもその身体の向きが、(まあ舞台上の振る舞いの都合はあるんだけど)、四道から身体の正面を逸らす(左脚からいけば距離であるところを、わざわざ右脚の側に回り込んで道のりとして去る)(説明がもうわからんのでこれは円盤でご確認ください)っていう、これまた自然から逆らう摂理で動くんだよね。どんだけこのキャラは自分の本音をしまいこんで生きてきたんだろう。そう思ってしまう。
揚羽は去る、去ろうとする、でも今度は、今度こそやっぱり立ち止まって 「永久に、わかるまい」って詰まらした喉で言う。身体と心のずれ。去ろうとする身体と、残ろうとする心。哀しい、奥行きのあるシーン。
死んでからこうやって激昂して涙を流しすらした男が、どうして諦めがつくんだろうか。
そんなに大丈夫じゃなくなるならば、なんで止めなかったんだろうか。
揚羽はずっと四道のことを見ている。四道ががむしゃらに進んでいくのを一歩下がってただ見ている。四道が何に振り回されているのかを知りながら。そして振り回された四道が、どういう道を辿るのかも知りながら。
揚羽はたぶん分かってるんだと思う。四道にもう、何を言っても。そういう諦観。「対等でありたかった」。それがどういうことか。四道にとってはたぶん、対等であったんでしょう。でも揚羽は違った。優しくしてくれるな。気にかけてくれるな。ほんとうは、「死ぬな」と言いたかった。「生きろ」と言いたかった。でも赤の王・朱理のように、「俺のために生きよ」と言えない。「死ぬぞ」としか言えなかったのは、対等ではない自分が何を言っても、四道に届かないことが分かっていたから。「死ぬな」と言えたとして、四道はたぶんたたかうことをやめないんだろう。そうやって自分の言葉が、思いが、四道に届かないことを目の当たりにしたくなくて、だからはじめから「死ぬぞ」としか言えない揚羽。
だからこれは、果ての果て、揚羽に錆び付いてしまってる諦観なんだと思う。対等でありたかった、という祈りすらしまいこんだ身体の底からひろがる、青いような諦観。悔しさでも悲しみでもなくて、ただただ、諦観なんです。
・この諦観を、技術としてやることはたぶんほとんど不可能だ。だって呼吸を意識することはできたって、操ることなんてできないよ。だから瀬戸祐介氏がいかにこの揚羽という役を肚に入れて、演じるというよりも(帰蝶はやっぱり「演じる」だけど)、いかに「生きて」いたのか。それがわかってしまって、もうだめだった。
はい、というわけでもう長いので終わります。書きたいことは書いた。要するに瀬戸祐介氏がこの揚羽というキャラの魅力と奥行きと深みを演じ上げてくれたこと、それがすごかったというブログでした。
今回で瀬戸祐介氏が「役者」だということが痛いほどわかったので(舞台超人でもなくアーティストでもなくダンサーでもタレントでもなくやっぱり役者なんだなあという意味でね、役者なんだなあ。ほんとに)推させていただくこととします。よろしくおねがいします!!!!!
おわり